ハーモニーフィールズ

Le Ballucheのフランス黄金時代(1930-1950)の音楽の魅力

エッフェル塔、セーヌ河岸、街角のカフェテラス、メリーゴーランド、ミュージックホール…。いつの時代も世界の人々を魅了し続けるフランス-パリ。 パリは時代とともに様相を変え、あらゆる意識が芸術を呑み込んでいく、メルティング・ポットとしての都市を描き続けている。だが華やかな芸術都市としての表面的な世界とは別に、 この街には人々の息遣いや庶民の生活を色鮮やかに写し出し、描き出す音楽世界がある。

20世紀前半において「ミュゼット」というキーワードは、パリの活き活きとした音楽を彷彿させるジャンルだ。「ミュゼット」=「パリ・カフェの音楽」は、大衆のなかに生まれ、 パリっ子の下町の生活から生まれた独特の伝統音楽である。とはいえ、「ミュゼット」はもともとオーベルニュ地方のバグパイプのような楽器の名前であった。パリに出てきた彼らは 楽器を携えビストロでダンスミュージックを演奏していたが、18世紀頃イタリアの移民たちがもたらしたアコーディオンにとってかわった。そしてその音楽がミュゼットと総称して 呼ばれるようになったのである。

平たく言ってしまえば、アコーディオンを伴った演奏形態の音楽だが、“人種のるつぼ”パリらしく、ジプシー、スウィング、ラテン・アメリカのリズムなど、ミュゼットはエスニック音楽 の要素を自らに取り込んでいく。しかし、その根底に流れているのは、やはりパリの「エスプリ」なのである。それは私たちがパリに魅了され続けているお洒落さといっても良いだろう。 1930-50年代、ミュゼットはワインとパンと同じように、パリの庶民文化には不可欠な音楽だったのである。

今回で3回目の来日を向かえるLe Ballucheだが、彼らの音楽はヴォーカルを含む「ワルツ・シャンソン・ミュゼット Valse chanson musette」である。エディット・ピアフやイヴ・モンタンの 名作の伴奏に、いつもアコーディオンが寄り添っていたように、歌のメロディとは違ったヴァリエーションが奏でられる。 その音色は時に歌詞とともに嘆き、驚き、笑い、時にメロディと平行して踊り、憂い、はしゃぎまわる。Le Ballucheの音楽の素晴らしさは、単に郷愁を誘う音楽を復興させただけでなく、 さらに即興による演奏者の駆け引きやジャズのコードなど、現代のエスプリを加味した音作りにある。彼らの奏でるワルツに、ジャヴァに、パリへの思いを馳せようではないか。